2016年8月25日木曜日

「今、生まれる譚」が生まれたたタタン、ダン。


◎上映会とトークイベントのお知らせ

開催中の展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。 近藤恵介・古川日出男」の初日に行った公開制作の様子を映画監督の河合宏樹さんが映像作品としてまとめてくださいました。
その上映会とライブコメンタリー+トークイベントを開催します。公開制作のことはもちろん、展覧会のこともゆっくり話せればと思っています。


「今、生まれる譚」が生まれたたタタン、ダン。

〜公開制作の記録映像作品「『今、生まれる譚』のいち記録」(河合宏樹監督)ライヴ・コメンタリー付き上映 + トーク 〜

2016年8月31日(水)
[開場]18:45

[上映・トーク]19:00 – 20:30


出演:近藤恵介・古川日出男・河合宏樹
会場:LOKO GALLERY

展覧会初日に近藤と古川によって行われた公開制作の模様は、映画監督・河合宏樹によって映像として記録されました。今回のイベントでは、その作品 「『今、生まれる譚』のいち記録」を近藤・古川・河合の生コメント付きで上映し、展覧会場での三者のトークも実施いたします。あの日あの場所で2人の制作 をご覧になった方もそうでない方も、映像という多角的な視点から白熱の創造の瞬間を追体験していただけます。イベントへの入場は無料です。どうぞお気軽に お越しください。

2016年8月24日水曜日

旅行者の展覧会

◎展覧会情報

1年前の9月に美術家の冨井大裕さんを訪ねて行ったニューヨークでつくった作品を含む1日限りの展覧会「旅行者の展覧会」(「壁ぎわ」企画)が記録写真と出品者がそれぞれ書いたテキストの形でアップされました。

このときにつくった作品が今年の5-6月にMA2ギャラリーで発表した作品(「絵の旅」展)の契機となって、そして、いまLOKOギャラリーで開催中の展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。」の作品へと繋がっています。この流れをみることで、作品が生成される過程を辿ることができるのではないかと思います。

印刷物のデザインは川村格夫さんです。



旅行者の展覧会
会期:2015年 9月28日(月)19:00-22:00

主催:KABEGIWA

会場:KABEGIWA(263 Wyckoff Ave 2L, Brooklyn, NY 11237 USA)


出品:近藤恵介、木村彩子、冨井大裕

印刷物デザイン:川村格夫(ten pieces

untitled 2015
ペン、紙片、石、木材
近藤恵介 


「旅行者として絵を描いたときのことを忘れないためにメモのように書いてみる」近藤恵介 

旅行者の格好、旅行者の身振り、旅行者の描く絵。
2週間の旅行に、パソコンは持って行かなかった。ノートと筆記具は持って行った。Macが日々の生活や考えを組み立てるときに果たす役割は小さくない、と いうより随分それに規定されている。まずはそれを手放す。だから、この文章も同じように旅行に持って行った筆記具で書いている。普段キーボードを叩く感覚 で書き進めると、字がもつれる。字が下手なことに少しがっかりする。それでも書き進める。そういえば、署名やメモ以上のまとまった文章をシャーペンを握り ながら書くのはいつぶりだろうか。スピード感が違うから、内容の加速度も密度も自然とそれに呼応する。シャーペンの考え方になる。まあ、急ぐ必要はまった くないからいいのだが。

場所。家では書けなかった、書き出すこともできなかったこの文章が、近所のハンバーガー屋に来てみると無理なく書けている。何でもかんでもーーー旅行のこともーーーアトリエに持ち込めばいいという訳ではない。
作品をつくるために旅行をしたのではないし、展覧会のためでもない。観光旅行。行くことそのものが目的。
旅先ですごくいい絵をみた。当たり前だが、そこに行かないとみれない展覧会やライブに足を運んだ。もちろん美味しい食事も。そういうことをアトリエに引き取らないで、そのまま生成の過程にする。 なぜだか、どんどん字が大きくなっている!

滞在先の寝室。マットレス、トランク、ゴミ箱、手書きのウェルカムボードと買った本が数冊あるくらいの天井高のある自然光がよく回る部屋。自分の手元にあ るのは、シャーペン、蛍光ペン、ボールペン、エンピツ、3冊のノートとメモ帳。これに、マーカー2本と木材1本と接着剤を買ってきて加える。携帯で撮った 写真をキンコーズで1枚だけプリントアウトもした。

風が吹いて、手に持っていた立ち寄ったギャラリーでもらった展覧会の内容が説明されたペーパーが飛ばされた。メキシコ人(?)がやっている小さな店で買ったブリトーの包み紙を落としたら、少し転がって道の出っ張りに引っ掛かった。
(そういう作品を作れるかもしれない!)

引いた線や色が飛ばされて引っ掛かるような絵の描き方を。たまには能動的にキャッチする。石を拾いに行ったりもした。そうしてできた作品を寝室の壁に引っ掛けてから、その翌日に飛行機に乗って帰国した。
あのときの感覚がようやく掴めてきた。立ち上がってきた。

2015年12月8日

2016年8月17日水曜日

『小説の家』に関する2つの展示

古川日出男さんとの共作で参加している福永信さんの編の『小説の家』(新潮社)に関するふたつの展示です。

「一冊の本を売る書店」森岡書店で開催中の『小説の家』展は、家の本棚のように並べられた200冊の本と参加作家による「家の本棚や机に置いてあるようなもの」の出品&オークション。ぼくも参加してます。LOKOギャラリーで開催中の展覧会のために制作したテストピース(だけどちゃんと共作!)を出品しています。8月28日(日)まで。
京都の誠光社では各作家の手書き帯つき『小説の家』が販売されています。こちら、31日(水)まで。



『小説の家』展
会場:森岡書店
会期:8月16日~28日

『小説の家』のための50のオビ
会場:誠光社
会期:8月16日-31日 10時−20時(最終日のみ18時まで)

2016年8月15日月曜日

2つのテキスト

LOKO GALLERY代官山)で開催中の展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。 近藤恵介・古川日出男」 にぼくと古川さんがそれぞれテキストを寄せています。
ぼくはギャラリーのwebサイトやチラシにある概要文の補足のようなもの、古川さんは初日の公開制作「今、生まれる譚」に向けたメッセージになっています。
会場でも配布していますが、展覧会をみる際の補助として、あるいは行く前の助走として。



“描く”と“書く”の手元のこと

チラシにある展覧会の内容説明の文はぼくと古川さんが書いたり話した内容をギャラリーがまとめたもので、読んでもらえれば展覧会の趣旨はわかると思うので、ここではもう少し細かい、筆や万年筆が紙に触れる感触くらいの些細なことを。

“描く/書く”ことが“書く/描く”ことを呼び込んで、それが連続して積層して作品ができているのだけれど、“描く”と“書く”を別々の人間が行っているので、それぞれの行為を引き受けて次を“描く/書く”ことになる。絵具の層の上に文字が書かれたり、更にその上に線が引かれたり。そこには必ず齟齬が生じるので、いつものようにはいかない。例えばキーボードで文字をタイプするときに滲むことはない。滲むことは“書く”に予感されていないので、どうしても戸惑うし、滲まなかったことにはできないから、滲んだことで一度立ち止まる。つまずく。

今回の制作中、古川さんはよく文字を見失っている。単純な書き間違いもあるし、存在しない漢字を造ることもある。普段とは違う支持体に書いていること、原稿用紙とはマスの幅も違うし場合によってはそれすらないこと、あるいは筆記具が違うことも原因のひとつかもしれないのだけれど、そうやってふと文字がほぐれたり変態するときに、ぼくたちは目を合わせる。

「譚」が「淡」「談」「ダン」「タン」と変化するように、「タ」と書こうとしたら勢い余ってふたつ書いてしまって「多」になって、その指先の動きの余韻でグルグルっと文字を消したときの手の運動をぼくは“描く”に引き取ってクルクルっと線を引く。

2016.7.11 近藤恵介




公開制作「今、生まれる譚」のこと

 普段、絶対に断わっていることがふたつある。ひとつは、「家のなかを見せてほしい」という依頼。これは、そこであなたの仕事中の写真を撮りたいから、等の理由が添えられたりもする。僕にとって、家の内部はそのまま「目下取り組んでいる作品のための、拡張された脳内」のようなものなので、他人をそこに踏み込ませることはない。次いで、断わることのふたつめ。「小説を執筆している姿を見たい、仕事場にカメラを据えて映像に撮らせてほしい」等の依頼。これも拒む。しかしながら、近藤恵介とやっているこの共同制作で、僕は何度も、他人に「今、ここで書いている姿」を晒している。どういうことなのだろう? ギャラリー内でモノを作る時、スタッフその他が見ている、撮っている、しかし気にしていない。それはどういうことなのだろう?
 過去に二度、近藤とは公開制作を行なった。それは強烈な体験だった。と同時に、僕(たち)にとってだけ、意義深い体験だったわけではないらしい。立ち会ってくれた人が、その強烈さを言葉に換えてくれたこともある。つまり、公開制作とは、それを「見ている」者たちをも確実に巻き込む。より正確に言えば、その「見ている」人たちに僕と近藤が巻き込まれている。
 ギャラリーの展示とは何か? 普通に解説したら、それは「すでに書かれて/描かれているもの」を鑑賞することだ、となるだろう。しかし公開制作においては「書く/描くという行為」を鑑賞することになる。それは鑑賞というワーディングでは言い表わしきれない何事かになる。なぜならば、それは場に、作品に、力を及ぼすからだ。鑑賞ではない鑑賞、あるいは目撃。しかも公開制作を眺める者は、沈黙しつづけているだろうから、僕と近藤も沈黙しつづけているだろうから、黙劇。
 目撃し、黙劇を生む、この劇的な時間に、僕(たち)はみたび向かう。みたび包まれる。

2016.7.26 古川日出男

2016年8月1日月曜日

「ダンダンダン。タンタンタン。 近藤恵介・古川日出男」チラシ


古川日出男さんとの2人展「ダンダンダン。タンタンタン。」のチラシができました!
4月から始まった協働制作ですが、絵と文字のやり取りを何度も繰り返した経緯がそのまま印刷物になっているようでとても嬉しいです。
薄く透ける紙の両面に印刷がされていて、いくつものイメージが重なっています。折り方も特殊ですので、ぜひ手にとってご覧ください。
デザインは前2回の2人展同様、戸塚泰雄さん(nu)です。
ぼくは「“描く”と“書く”の手元のこと」というテキストを寄せているので、そちらもぜひ。