2009年9月2日水曜日

このへんからそのへん、そしてあそこらへん



◎展覧会情報◎

"このへんからそのへん、そしてあそこらへん"(個展)
ギャラリーカウンタック, 東京
2009年9月5日(土) - 10月3日(土)
(午後1時-7時, 日・月休廊)

レセプション 9月5日(土)
午後7時-9時


"new works" (Solo Show)
gallery countach, Tokyo, Japan
5 September - 3 October 2009

reception
2009.Sep.5 7pm-9pm




"このへんからそのへん、そしてあそこらへん"
近藤恵介個展に向けて  嘉藤笑子

近藤恵介に初めて会ったのは、2005年3月初めの東京の下町のカフェであった。それは、私が運営していた「RICE+
」というアートスペースのイヴェントでアンデパンダンの作品を募集していたことによる。まだ現役の芸大生だった近藤は、ほかの学生と一緒に作品を持参してきた。まるで「いじわるおばあさん」のように頭の上に長髪を束ねていて、ラスタファリというかレゲェというか、気ままな雰囲気が印象的で、いまでもその風貌は変わらないといえるだろう。
持参してきた作品は、自分で気に入った大きさに画板(パネル)をつくったもので、小さな長方形で手頃なサイズだった。画材は日本画なのに描かれているモチーフは現代社会の風刺画のようであった。そのころ彼が気に入っていた題材は、会議室のなかでスーツ姿の男たちが並んで座っている様子だった。なぜ男たちが面接官のように並んでいるのか、サラリーマンになったこともない画学生がどうしてスーツ姿に興味があるのか。こちらのほうが気になってしまい、後日になって彼に個展を申し込んだのである。
その後、いくつか画題の変遷はあるものの、日本画にある特有の画材と技法を使っていることには変わりはなく、どこかに自分のお気入りが必ず登場してくることも通常のことである。例えば、音楽好きの彼は仮想のレーベルをつくって、そのマークを画面に入れ込むことがあった。しかし、法則や仕組があるわけではなく、時には登場し、時には排除するといった具合だ。いまのお気に入りは、家のなかの小物らしい。洗剤、卓上ランプ、観葉植物など、身の回りの生活品のすべてが同列に同サイズで並んでいる。この並列されることに彼のこだわりがあるのではないかと思う。遠近法を持たない日本画は、“もの”を正面か側面で捉える事が多い。近藤の場合は、ほとんどがのっぺりとした正面である。身体や表情を持たない男女の顔が並んでいる様子は、まるでクロマキー効果を狙った映像作品ともいえるし、実際にTV番組のように多種多様な事物が混在している。絵画のなかに白地や描かれていない画面が多いのに、なぜか多弁なのである。それは、絵画特有の物語性を孕んでいながら、なぜか電波の届きにくい通信のように、断片的に届くメッセージを鑑賞者が必死に聞き取ろうとする作業でもある。そうした物語のアウトラインが、絵画の地層に潜んでいるのである。だからこそ、人々は、そのありかを捉えようとして惹きつけられるのかもしれない。
近藤という人物は、どちらかといえば日本画家として相応しい引き籠りタイプである。ひたすら描き続けることが好きで、家にいることが楽しいらしい。実際に、日本画を描くには時間がかかるし、手間がかかる。しかし、多くの時間を描く行為や思考することに対面することで絵画が成長していくといえるだろう。「絵画を描く行為のなかで、熟考していく。
それは、アーティストが最も至福のときではないか。下準備や画材をつくることに繊細の注意を払い、さらに画面と向き合い、ひたすら描き続ける。それに伴う時間の流れや自分がおかれている場所との関係性にも思いを馳せる。こうしたリアリティとスペキュレーションの反復は、運動選手に例えると、遠距離ランナーに近いのではないかと思う。
「みること」と「かんがえる」ことを長距離ランナーのように呼吸していく。その遠い旅に出かけるような行為に、彼の絵画の物語は、多くの地域や場所に訪れているのである。次の絵画の旅は、どこにいくのだろうか。