◎展覧会(個展)
今週末7/29(土)より、ギャラリーαMでの個展「さわれない手、100年前の声」がはじまります。
2年間のプログラム「 αMプロジェクト2023–2024|開発の再開発 」の第2回目で、ゲストキュレーターは石川卓磨さん(美術家・美術批評)です。
日本画家・小林古径のちょうど100年前の模写《臨顧愷之女史箴卷》 の模写(模写の模写)をすることから展覧会を作りはじめ、不確かな場所としての絵画を考えました。かなり絵に無理をさせています。
石川さんのテキスト「模写のクオリア」をギャラリーのwebサイトで読むことができます。ぼくのテキスト「さわれない手、100年前の声」はこちらに転載します。
初日の18時からは石川さんとのトークも予定しています。
印刷物のデザインは岡田和奈佳さん。
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αMプロジェクト2023–2024
「開発の再開発 vol. 2 近藤恵介|さわれない手、100年前の声」
ゲストキュレーター:石川卓磨(美術家・美術批評)
会場:gallery αM
会期:2023年7月29日(土)-10月14日(土)日月祝休 入場無料
時間:12:30~19:00
*8月13日(日)-28日(月)は夏季休廊
協力:平和紙業株式会社、株式会社竹尾
トークイベント:7月29日(土)18:00-
近藤恵介×石川卓磨
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さわれない手、100年前の声
近藤恵介
日本画家・小林古径は無口の人として知られる。古径のポートレイトを撮影した写真家の土門拳は撮影時のやり取りを懐古して「まるで壁の向う側にいる人と話しているみたいだった*1」と書き残している。「壁の向う側にいる」ように感じるのは、古径の絵を見ていても同じだ。絵はひたすら無口で、無表情だ。見てだめなら、耳を澄ましてみると、かろうじて唸るような低い声は聞こえる気がするが、意味は結ばない。ふと、壁の向こうには誰もいないのかもしれないと考える。壁越しの交流は、これ以上壊れない関係を築くことでもある。土門が「女のようにふっくらとした手が印象的だった*2」と書いたその手に触れることはできないけれど、ノックをしてみる。トントン。
ちょうど100年前、大正12年(1923)4月から5月にかけて、古径は同朋の画家・前田青邨と大英博物館に通い伝顧愷之筆《女史箴図巻》を模写した。青邨は「原画が鮮明なものであればともかく、真黒で非常に難しい。これ以上難しいものはないくらい難しく、徹底的に不鮮明である*3」とふり返ったが、2人は薄暗く煤煙の落ちる部屋で、徹底的に不鮮明な画巻を凝視し、切れ切れの線を綯うように引いた。青邨の速度をともなう張りのある線に比べ、古径の線はどこか頼りなく、不鮮明さをも写している。
模写に向き合うある日のことを「描き疲れて博物館を出ると、小林君が突然、突拍子もない大声で「ああ、勉強になったな」とただ一こと叫びました*4」と青邨は回想した。無口の古径の叫びは不鮮明な原画に向けられたものだが、その声は100年後にも届く。
(2023年5月)
*1 土門拳「無口の人」『三彩』87号、1957年5月、27頁
*2 同上
*3 前田青邨「「女史箴図巻」の模写」『作画三昧—青邨文集—』新潮社、1979年、188頁
*4 前田青邨「兄・小林古径」『作画三昧—青邨文集—』新潮社、1979年、120頁