2010年6月16日水曜日

絵画の身振り

◎展覧会情報

この夏、岡山にて個展「絵画の身振り」を開催する運びとなりました。
この展覧会に向けて、6月下旬より岡山にて滞在制作を予定しています。
展覧会は、前期/後期に分かれています。前期(7.10-8.9)は東京で制作した作品を中心に、そして後期(8.13-9.13)は岡山での滞在を経て制作された作品が中心の展示となります。

今年は瀬戸内国際芸術際もありますので、近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

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絵画の身振り(個展)
2010年7月10日 (土) - 8月9日 (月)
前期 -後期に歩みよる-
2010年8月13日 (金) - 9月13日 (月)
後期 -前期に歩みよる-
Satellite | サテライト(岡山)
http://www.satelliteee.com
入 場料無料


press release
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「絵画の身振り」 :
近藤恵介

絵画は絵を描くという行為なしには成立しない。それはあらゆる場合においてもそうで、何かをするということは実際的な行為を伴うことになる、ということなのだが、僕は画家なので絵画で考えてみる。

絵画は、紙を貼る、線を引く、絵の具を溶く、絵の具を紙の上に置く(塗る)、等々の絵画的な身振りの積み重ねの上に成立する。画家がいるから絵画があるのではなくて、絵を描くから絵画があるのだ。当たり前のことのように感じるが、その随分素朴な身振りの積み重ねにこそ重要なものが含まれているような気がする。

また、絵画は絵画的な身振りそれだけで成立し得るものでもない。筆休めにコーヒーを飲むし、絵を描いている時には音楽も聴く。そもそも絵を描くための筆や紙そして絵の具は、電車を乗り継いで画材屋に行かないと手に入らない。なので、絵画の身振りのうちに自然と生活の行為も浸透してくる。そこは明確に分かれているわけではなくて、わりと曖昧だったりする。
日々の生活があって、その中に絵画の身振りがあって、その結果、絵画が存在しているのだという認識だ。

絵の具をこねないと絵の具は出来ないし、それを画面に定着させないと絵はすすまない。毎日描かないとなかなか仕上がらない。そこにイリュージョンはない。僕が普段使っている日本画材は特に手間のかかる画材なので、とりわけその傾向がつよい。実際に画面に向かって筆を走らせる時間よりも、様々な下準備の方により時間がかかる。顔料を瓶から出して、膠で溶いて、水で延ばして、といった作業を繰り返していると「様式美」といったような言葉も浮かぶが、おそらくそういうことを本当に考えているのではなくて、ただそういう時間があるのだ、という意識で絵の具を練る。
身振りと身振りと身振りと、、、絵画的身振りの連続+αが少しずつ堆積していったものが絵画になったりする。それは何処にいても同じだ。東京にいても岡山にいても。